2012年5月30日水曜日

おおさか5/30

無事関西国際空港着.
ルフトハンザB747ジャンボ機、安定した飛行だった.

関空5月30日7時50分

日本では使われなくなった機体だがヨーロッパではがんがん飛んでいる.
新型機を入れてサービス向上を歌う日本と,古いのを使い続ける欧州と.
どっちが乗客に取って良いのだろう.

フランクフルト5月29日13時20分(現地時間)


 我々の乗った飛行機は,前の席の物入れが壊れていたりシートの背もたれがボタン操作で動かなかったり. 
倒すときは思いっきり背中で押して、起こすときには「よいしょ」とばかり手で引っ張る.
彼らはそれで平気なのだ.

関空快速大阪乗り換えで新大阪.
自転車組み立てに40分.

新大阪5月30日10時40分

我が家に着いたら皮膚科に直行。
ここでもドイツと一緒.
一目見るだけ、即診断.

このままでいいでしょう.
風呂入ってもよろしい.
痛み辛抱できなかったら薬を取りにきなさい.

乾杯!

2012年5月27日日曜日

ベルリン5/27


この地に来て4日.
病状は日ごとによくなっている.
腹回り左半分がすしんと思いのと、ときどき臍の上にきりきり揉むように痛みがくるのと.

ひところを思えばずいぶん楽になったものだ.

快晴が続く. 8日間、晴れっぱなし.
サイクリングしていたときは雲が集まりときに不穏な風が吹き.
ヤッケを手放せなかったのが嘘のようだ. 

午前中横になって,昼から少し町に出る.
毎日のパターン.


きのうは勝利記念塔に登った.
何メートルあるのか,細い螺旋階段をぐるぐるぐるぐる.
バカと煙は何とやら,しんどいくせに,登るのをやめない.

手に入れるのは360°ベルリンの眺望.
中央駅方面右にテレビ塔ブランデンブウルク門

おおこわ

19世紀ドイツ興隆期の思いが込められた遺品.
この塔もブランデンブルク門もよく爆撃に耐えたものだ.

大阪でもそうね.
中央公会堂、小西議助、証券取引所、大丸そごう........
あれえ,百貨店は皆残った?

いったん帰って休養.
遅い夕食に出る.
ガイドブックのある食堂に行ってみた.
ドイツ伝統料理「Tucholsky]
ドイツ語メニュー、英語メニューに加えて日本語版があった.
助かったが省略されたものだった.


ガイドブックおすすめのロールキャベツを注文したら,やっぱりねという目だった.
1人前を2人で食べるのはいつものとおり.

「全部食べない方が店のためにもよかったかな」
「思いっきり残さんと効かへんのんちゃうか」






2012年5月26日土曜日

Hiroshima-Nagasaki-Platz



連合国によるポツダム宣言が発せられたあと
アメリカ合衆国はトルーマン大統領の同意のもとに、広島長崎に原爆を投下した.

埋めてあるのは、左が長崎から,右は広島から、運んできた石である.


前にあるのは,当時の大統領トルーマンが宿舎に使った邸宅である.


圧倒的な迫力で迫ってくる文言.
今になって大意でしか書けないのが悔やまれる.

さて、 下にあるのは日本人旅行者の記念写真である.

我が国の今に忸怩たる思いを重ねてあえて掲載
ばかやってるよね


2012年5月24日木曜日

Schloss Cecilienhof 5/21

ポツダム会議場再び.


 前はビール1杯で帰ったが,このたびはディナー.
4星ホテルのディナーと言っても一人前を二人で分けるのだから、デザートまで行ってもドイツの食堂はリーズナブル.
しかしそこは観光地の観光ホテル,泊まるのはお上りさんばっかりなのだろう.
値の割に量が少ない.
朝食も値段ばっかりで中身に乏しい.

地ビールと言われたREX  PILLSはうまかった.

いよいよポツダム会談.
会談の部屋、控え室、が当時のまま保存されている.
トルーマンが親分格で中央議長席.


左にチャーチル、右にスターリン.
スターリン終止明晰.
チャーチル演説見事だったがすべてを文章にするのが困難だった.
などと,当時の写真とともに追って行くと臨場感がわいてくる.

戦勝国扱いだったがドゴールは招待されず.
イギリスは総選挙のさなかで、チャーチルが選挙に敗れてイーデンと交代.
アメリカでは戦争を指導したルーズベルトが他界トルーマンが代表に.
結局はじめからの人物はスターリンのみとか.

再び来れて良かった.
これぞまさにけがのこうみょう.

珍しく個人旅行の日本人に出会った.
先から声をかけてくださった.
娘さんが在フランクフルト、神戸在のご両親.


ヘルペスだけでも話が弾みそうだったが食事時間がずれてしまった

ヘルペス覚え書き 5/11〜21

5/8ベルリンを出て3日目背筋に違和感を覚えながらこいでいた.(5/11)
背中のポシェットを外したら少し楽になった.
5/14朝 虫さされかかぶれが腹に出ているのに気がついた.
ひりひりと痛い,ムカデにやられたようだ.
水泡ができてきた. 全体に紅く熱を持っている.
腹筋と背筋が痛い.
ほうほうの体でヴェルニゲローデに着いた.(7日目5/15)

明日明後日は休養日.
筋肉も回復することだろうと汽車で山頂のホテルへ.
夜中に激痛.

翌朝腹筋は回復したが,逆にひりひりがこたえる.
筋肉の痛みでひりひりの方を忘れていたようだ.

調子が良いのでブロッケン山からシールケまで歩く.
これが悪かった. 次第に歩みがのろくなる.
腹筋がうねる.水泡ますますひどくなる.

5/18ゴスラーに向かうが、Tazukoがどんどん前へ行く.
こりゃまずいかなと思い始める.

ゴスラーを出てランゲルスハイムの宿に向かう山道で、「こらあかんな」
緩い坂道を上れない. ひとふみごとに腹の筋肉がじりじりと裂けてゆくようだ.

宿でTazukoに相談.
「やめよ」

Tazukoがヘルペスという病名を思い出した.
帯状疱疹. それちゃうか.
調べると
•はじめに赤い発疹.
•ひりひりとさすように痛い.
•水泡ができる
•身体の片側半分にできる
見ると
•腹から背へ左半分、そのとおりやん.
このときには水ぶくれがひどい状態になっていた.

宿に連泊を頼むと満室.
事情を知った宿の主人がゴスラーまで車で送ってくれた.
ここなら宿がある.

ゴスラーで2泊.
ランゲルスハイム、ゴスラーの3日間が最高にきつかった.
動くのもしんどい,食べるのもしんどい,話すのもしんどい.

5/21朝、峠は越えたなという予感をもちつつ、ポツダムに向かう.
14時頃着いて、あっちへ行きこっちへ行きして16時頃ようやくクリニック.

待ち合いで待つ,ひたすら待つ.
外来とあって後回しになるのだろう、次々と後ろの人が消えて行く.
座っているのも立っているのもしんどくなって,待ち時間を聞く.
これが効いたのか、次の客となることができた.まもなく18時.

患部を見せるなり「ヘルペス」
やっぱりなとこちらもなぜかほっとする.
薬を塗ってもらって,薬局で塗り薬と飲み薬を買って宿.18時半.

診察代€30.82
飲み薬€24.94
塗り薬€7.89


2012年5月14日月曜日

ポツダム 5/10

ポツダム会談の行われたあのポツダムにやってきた.

会場は湖畔の宮殿だった.
今はホテルになっている.


庭でビールを一杯やりもって往時を偲ぶ.
彼らはシャンパンとかワインだろうか.
やっぱりビールも飲んだろうよね.


うだうだ言っているうちに原爆を2発.
そして敗戦.
おとつい8日はドイツ降伏.
おもえばとおくへきたもんだ.








2012年5月3日木曜日

鯖街道 4/29.30

「明日、空きありますか」「どうぞ」
どうやら下り坂、お天気のうちに出ることにした.

サイクリングは久しぶり.
身体はどうか,自転車は?

朝いち、新大阪駅
いるは、いるは.
輪行人口爆発的増加


ひんしゅくをかわないよう気をつけないと自らの首を絞めることになる.
自戒.

分解に50分、組み立てに40分.
それぞれ10分は縮めたいところだが
いまはこれが精一杯.
新快速ガラガラ.
G.W.ですよ.


このじてんしゃはすごい
あっというま

ずっと気になっていた3人組
どう見ても自転車は2台



スタバで朝食をとって、ゆっくりスタート.9:20







花折峠入り口の茶店で「ぼたもち」1ヶ.12:00
でっかい. 二人でちょうど.



峠を超えるとあとは下る一方.


長いトンネルが下りで助かった.
快適に道の駅「朽木』14:00
これは翌日取ったものだがこの日もこんな感じ
バイクが多い




そば屋で時間調整して「天空温泉」チェックイン.15:30
今日は暑かった.

あけては曇り.
涼しくて良いけど降るのはごめんと勝手なスタート.10:00
小浜まで40kmきのうにくらべれば上りもなく、気楽に寄り道.




熊川宿番所



ようやく小浜



十分に遅い昼食は水産センターの定食屋.14:00
これがなかなかの人気店. TAZ慧眼.





隣に座ったにわか同窓会とおぼしき面々.
「卵焼き定食」(客)
「ない、やめた」(店)
「***は?」(客)
「ない」(店)
「おまえ、ここで、卵焼き食べるか」(客)
「いつもたべててん」(客)





刺身定食¥1,200.-
たい、いか、たこ、はまち、ひらめ、あまえび、さけ、まぐろおとし、さざえ、貝柱.

分解にやっぱり50分かかって、はじめて乗る小浜線は16:21発.





敦賀発新快速で新大阪.
立てかけていた自転車の紐をほどきに行くと青年が話しかけてきた.
「山の道具ですか」
「自転車」
「へえー」

しばし会話が弾んで、それじゃ.

小さな旅のうれしい終わり.