江口君堂目指して新幹線沿いに上新庄.
交差点の向こうに鯨橋の看板を見る.
瑞光寺.
江戸時代、不漁に泣いていた太地の漁師の願いを聞いて、旅の坊さんが祈願したところ
あら不思議.
お坊さんの名は譚住知人(たんじゅうちにん)瑞光寺4代目の住職だった.
お礼に太地の漁師が金30両と鯨の骨18本を寄進.
譚住が鯨の供養に橋を作ったのが始まりとされる.
この橋は6代目.
北海道のイワシ鯨の下あごと扇骨、南極海のミンククジラの脊椎と説明板.
経大をすぎて古道と思しき道を辿ると淀川に出た.
神崎川の分岐はすぐそこ.
見渡すとそれらしきお寺. 君堂だった.
「宝林寺普賢院寂光寺」
遊女妙の創建と伝えるが、怪しいらしい.
有名な西行と遊女との問答歌を刻んだ石柱.
こちらは西行、裏に妙、正面「南無妙法蓮華経」.
新古今で広まり謡曲江口で定着した感のあるこの歌問答.
どうやら西行の自作自演であるらしい.
山家集に「遊女」とのみあるのを、興に乗った選者定家が「妙」を加えたのではないかと研究者. 見事に一人歩き.
「江口の君」と名を残す名君「妙」の名が貴族の口に上るのは西行没後とのことである.
「世の中をいとふまでこそかたからめ
かりの宿りをおしむ君かな」
「世をいとふ人としきけばかりの宿に
心とむなと思ふばかりぞ」
東高野街道を歩いた時、野崎観音中興の祖として「江口の君」の名があった.
事実らしい.
当時の遊女は自営業、売れっ子はお寺を再興するだけの財力を持つことができた.
遊びの支払いに「絹」「米何俵」との文書も残る.(滝川政次郎「江口神崎の遊女」)
淀川堤をとくとく帰る.
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