2025年9月25日木曜日

川中島古戦場 9/23

松代は真田の城下町として栄えた.
初代信之から維新まで10代続く.
父昌幸の思惑見事的中.
旅のテーマから外れるけど、素通りもできかねる.
真田邸.
幕末、9代藩主が義母のために建てた屋敷が今に残る.
広大な敷地に、住んでいたのは20人ばかり.
殿様は駕籠で畳敷の部屋まで乗り付ける.
真田10万石、襖は武田の菱形紋. 引き手も凝ってあった.
見どころも多かったが今日は「川中島合戦」.
そそくさと妻女山に向かう.
上杉謙信の本陣である.
廃れた道をさぐるように登る.
蜘蛛の巣が顔にかかるのは久しぶりだ.
小学校の遠足も来ないのだ.
やっとこさ上がって展望台.
眼下横に走る千曲川、土手の向こうが謙信の陣地.
鞭声粛々夜川を渡るのだが、信玄も渡って陣を移していた.
右手にあるはずの信玄陣地までは目が届かなかった.
妻女山ちょっと低かった.
まあ低いから来れたんやけど.
新聞記者が取材に訪れていた.
千曲川を越えて合戦場を左に見ながら土手を走る.
千曲川サイクリングロード、快適である.
典厩寺をパスして古戦場公園.
500m平方はあるだろう大きな公園である.
入り口には食堂、土産物.
八幡様の社があった.  信玄ここに陣を敷いた..
この辺りを当時は八幡原と言ったらしい.
両雄相討つの銅像、首塚、その他、川中島合戦のエッセンスがここにつまっていた.
山本勘助の墓がぽつんと千曲川の向こうにあるのはどうしたことか.
後詰の手勢の中にあって激突したか.
虚実ないまぜの勘介らしい墓所ではある.
この地もそこそこにさようなら.
うまく道を辿れて長野駅まで40分だった.
ひと便早い「しなの」で帰る.
見どころが多かったのに、時間をせいて中途半端な旅になってしまった.
おおきく「はんせい」.

0 件のコメント: