2020年2月5日水曜日

神の里 2/2

旧友の案内で古曽部散策.

「こそ」は神さんのいはるとこ.
「べ」は人の集まってるとこ.
「こそべ」は神さんを祀る人々の村.
友の講釈になるほど.
まずは菅原道真公.

太宰府天満宮に次ぐ古い天満宮という.
その昔、道真公の縁者が太宰府に参った帰り牛車が動かなくなった.
祟りじゃと言ったかどうか、前からあった神社を天満宮に変えてしまった.

この辺り土師氏の縄張りとか.
菅原氏も元は土師氏.
怨霊が宿っても不思議は無い.

こちらは土師氏の祖、野見宿禰の墳墓とされる.

時過ぎて祟り忘るる梅一輪.

どなたかのお墓を過ぎて.

今日の目玉、梅の古木は幹性寺. 「けんしょうじ」と読む

神宿る樹齢300年. 残念ながら蕾だった.

街中の見事な竹林は神社の境内.

伊勢寺.
こちらは歌詠みの神様、伊勢の住まいあとがお寺になった.
伊勢の守、藤原なんとかの娘さんで伊勢(姫).
顕彰碑建立と寺伝にあったが見損なった.

百人一首に残る伊勢の歌.
難波潟みじかき芦のふしのまも あはでこの世を過ぐしてよとや.

 次なるは比叡山日吉大社を灌頂した荒木村重、日吉神社.

なぜか東郷平八郎の額が上がる.

読みは「ひよし」神社かな.
村重、神さんを呼んだものの、妻子を見殺しに逃亡と悪名高い.
坊さんになって生きおおせたともきく.
あっさり手にかかった方がずっと楽な人生であっただろうか.

伝能因法師墳墓.

松林窟道場.
能因法師の住まい跡とされる.
伊勢姫に私淑してこの地に居を移し生涯を終えた.
「あれあれ、お坊さん」は下司の勘繰り.
伊勢さん872〜938年、能因さん988〜1050.
1世紀の開きがあった.

散策のゴールはいつもの居酒屋.

500m四方ほどに古代中世がぎっしり、古曽部すっごい.

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