2008年12月25日木曜日

おやじバンドフェス’08 12/23ホテル日航茨木


11時開演 終了は22時
屋台が出てドリンクがあって
大編成のサックスがあるかと思えばギターのソロ
ビール片手にビートルズ

2008年12月17日水曜日

米欧回覧実記 12/17 Martin Collcutt先生 関大千里山



A Japanese Confucian Samurai's View of Asia in 1873:
The BeiO Kairan Jikki of Kume Kunitake
いきなりわたされた英文のレジュメ。


どうなる事かとたじろいだが先生は日本語に堪能であった。

今やこの本は10年の歳月をかけて英語に翻訳され世界の研究書になっている。
マーチン先生は翻訳者の一人なのだ。

久米邦武、泉下での得意や思うべし か。

聴講生に回覧実記の会会長がいた。
これまた目を瞠いた事であった。
題名を学校で習っただけの恥ずかしき。

2008年12月15日月曜日

Casa della Domenica Home Concert 12/14



majikanaハイキング今日のお目当てはコンサート。
というわけでハイキングは午前中に8㎞ばかり。





ならばと久しぶりに道を外れる。
でもって沢詰めのあとの尾根間違いをきっちりやってしまった。
こんな下がるはずないのにな、とコンパスを振ったのはだいぶたってからだった。
おそまつ。

2008年12月3日水曜日

東アジアにおける「歴史の和解」と「民族」思想の超越 12/3王柯先生 関大千里山


日露戦争。 戦った土地は中国。 迷惑したのは中国人。 で、食べるものに困って両国に申し入れた。 食料を運ぶ道をあけてくれ。 ロシアは同意、言いたくないけど日本は拒否。
嫌われる理由が透けて見えるね。
アジアの手本だったのに。 民族主義を輸出し独立の引き金になったのに。
そしていまその民族主義がアジアの足かせになっている。 
民族を超えたところにアジアの未来があると先生は叫ぶ。
賛成。 
NATIONと民族
単なる訳にとどまらず、国粋主義が政治共同体としての「民」文化共有の「族」としての一体感を強調した。 排他主義が生まれ、中国改革派がこの影響を受ける。 中華民族という概念
(それまでなかった)がここからおこる。 例えば孫文は漢民族主義満人を排除しようとした。
大統領になったとたんに言わなくなったが。
この辺り攘夷を叫んで革命を起こし、こと終えて何事もなかった我が国に通じて面白いし、当時の我が国の影響力を思う。 田母神論文の下地でもあるね。

2008年12月2日火曜日

仲谷 伸生先生 12/2関大天六



江戸時代文化発信の地であった大阪で花咲いた兼葭堂をはじめとする画家たち。
評価しているのは外国。 日本で探しても会えない作家にイギリスの美術館で会える、アメリカの博物館で会える。 
わたくしは今や美術品はどんどん海外へ流出すれば良いと言っている。
そのほうがだいじにされるのだから。
やがて海外での評価が高まって日本の美術館も高値に関心を持つに至るであろう。
今日は眼鏡があった。 スライドが楽しかった。 狐の行列、キリギリスの行列。 この下地が宮崎駿を生んだのだと先生。

2008年11月29日土曜日

五百旗頭 真先生 11/26関大千里山


渋沢栄一の事績を語る。
それがそのまま今日のテーマ「冷戦後の日中関係•日米関係」になって行く。
上手い。
曰く。経済恐慌は辛抱すればすむ。精神に恐慌を来して現実から飛躍する。これがこわい。
戦前の我が国は渋沢先生が心配された通りの道を歩んでしまった。
中国はどうか。今の中国はビスマルクのドイツに似ている。カイゼルは現実外交を展開するビスマルクを首にして、戦争への道を進んだが。.......
防衛大学校校長。 田母神論文には苦笑を持って応えるのみであった。

2008年11月26日水曜日

建物今昔 11/25橋寺知子先生 関大天六


どんどんとたてかわり町が変わる中で昔の建物がひょっこり残っている
残った建物が改装のあとも含めて時代を語るをあらためて教わった
素人目に良い建物はやっぱり専門家にも良い建物だった
「味のある」という表現は共通だった
メガネを壊してスライドがよく見えなかったのが残念

2008年11月20日木曜日

朱 建榮先生 11/19関大千里山


中国の中間層は今5億人に達した。
中産階級3億に中流意識を持つ人2億。
このパワーが中国を変えるだろう。
大量消費社会へ 民主主義社会へ。

四川大地震と北京オリンピックに現れたリアルタイムの報道とボランティアの出現は今までの中国には見られなかったもので、社会構造の地殻変動と国民意識の革命的な変化を示している。
私はこれを第三の革命と言う。
2008年は歴史的な年になるだろう。

ひるがえってわたくしは
今の我が国をかくもポジティブに語ることができるだろうか

2008年11月18日火曜日

聖徳太子 11/18原田正俊先生 関大天六


いかにして万能の人「聖徳太子」が生まれたか
聖徳太子虚像が造られ拡大してゆくのは中世である
犯人は坊主 宗門の拡大に利用した

改革者親鸞も例外ではない
象徴となるのが「聖徳太子伝歴」
ここでは太子は中国天台宗の高僧の生まれ変わりとされた

仏教伝来時の功労者の出自が天皇家であることが
その理由であろう

原田先生90分一気語り おもしろかった

2008年11月15日土曜日

一歩会ハイキング 11/14串柿の里


和歌山県かつらぎ町四郷
凄まじい数の柿が並ぶ
立派なのは串刺しにされ貧相なのは吊るされる
吊るしを一本買った
10個ほどついて一本400円
おいしかった

今日はハイキングというよりバスツアー
帰路酒蔵を改造した温泉によった
酒にかわって地ビールを造っていた

2008年11月13日木曜日

金 泰晶先生 11/12関西大学


「ために」はやめよう 「ともに」で行こう
日本人はお前のためにとか国のためにとか言うけれども
ためにになっていないではないか
「ともに」 そのために対話がある
対話力をつけよう

2008年11月10日月曜日

東海自然歩道ⅩⅣ 柳生街道11/9


8時半雨上がりの道を歩き始める。
ほどなくカメラが手元を離れて空中へ。
シャッターおりない、レンズ動かない、振るとガラガラ音がする。
子供を授かる地蔵さまから柳生十兵衛の首切り地蔵、借金棒引きのお地蔵さま。
いろいろおられたが一枚もおさめることができなかった。
円成寺の紅葉も見事だった。
紅葉目当てに先月は見送ったのだが当たりだった。
あたりといえば門前の茶店が良かった。
1350円の定食。まず豆腐の田楽がでる。しっかりした焼き豆腐に柚みそと来たね。
ほどなく天ぷらに炊き合わせ二杯酢に香の物、汁はにゅうめん。
炊き合わせは高野豆腐こいもゴンボ蕗なんかもう一品あったような。
壁のしながきをゆっくりしっかり目で追ったが残念にも「酒」の字はなかった。
主人手折りの柿が一人一個。
皆さんお土産のようだったが我々はありがたくいただいた。
3時半無事奈良白毫寺着。 
東海自然歩道はここまで。
近鉄奈良駅4時半着、快速急行一時間で自宅にいた。

2008年11月5日水曜日

日中歴史共同研究 11/5関西大学


きょうは東京大学北岡伸一先生「日中歴史共同研究研究で考えたこと」
厄介なのは政治が絡むこと
中国は新しい国が前の国の歴史を書く伝統がある
でもって歴史家は今の国を正当化する任務を負わされている
日本の歴史家はなぜをひとつひとつ検証しようとするが
中国は原則に当てはめようとする
現在はパラレルヒストリーの手法
それぞれ同時代の歴史を勝手に書いて共通項を探る作業である

国連次席大使も経験されていて
日本が非常任理事国に立候補した際に時の小泉首相が靖国に参拝して中国の反発を買ったことを痛烈批判

2008年11月4日火曜日

カメラがない

今日は何という日だ
カメラを持たずにジョグにでた
往路 拘置所の前が何やら騒がしい
カメラが一杯
小室哲哉の収監待ち へええ
帰路 自転車に荷物満載の美女
日本一周
北海道から沖縄をまわって神奈川への帰路とか
コムロはともかく彼女の写真は撮りたかったね
日本一周に会うのは今年二人目

2008年11月3日月曜日

かまきり


ベランダでかまきりが寝てるわ
きちっとうでおってかわいいで

ぬくいなあいうてここにおったらさむなって
うごかれへんよおなってんわ

そういえばちょっとひえたかなあ

2008年10月29日水曜日

入江昭先生 10/29関西大学 


今日は世界史
インデアン小野先生をなつかしみまた学生時の平和論に思いがめぐる
むなしかるべきすぎしひのおもいでや

入江先生曰く
世界史はinternationalからtransnationalへ
分岐点は1970年代

のほほんと生きていたね

2008年10月28日火曜日

関大天六 10/28


関西大学大阪文化セミナー
往復はがきで申し込みがうっかり普通ハガキ
あきらめていたところ受講券が送られてきた 感謝

第一回目の今日は田中登先生の平安文学に見る難波の講義
万葉歌と大和物語芦刈
ヒッサシぶりの国語の授業であった
「いずれのおほんときにか」辻田先生本田先生
ぱっとお二人の顔が浮かんだ

2008年10月25日土曜日

自転車を組む


形完成
あとは乗り手との調整あるのみ
これがなかなかやっかいそうではあるが

ピエフレーム
デオーレのコンポに
クランクセット スギノXD700/160( 48/34t)
BB タンゲ
サドルバッグ キャラダイスは次男の奢り

結構ええ感じと自画自賛

2008年10月20日月曜日

自転車を組む


チェーンをつけて動力部は完成
ここまで順調だったが左ブレーキレバーが不良品だった
後回しにして泥よけなどに取りかかる




形はほぼ完成
調整と左ブレーキを残すのみとなった

2008年10月19日日曜日

自転車を組む



ようやくルレームが届いた
ピエのミキスト オールクロモリモデル

まずはBBをセットしてスギノXD700をつける



前後変速機をつけて
車輪•ブレーキをとりつけ

まずはここまで
ゆっくりたのしみましょう

2008年10月15日水曜日

敗戦条約と交渉条約      10/15関西大学


横浜市立大学加藤先生の講義を受けた。
アヘン戦争に敗れて開国南京条約を結んだ中国に対し、
避戦論をもってペルーとの交渉の末和親条約を結んだ日本。
中国はその後も敗戦条約が続きついには日清条約、莫大な賠償金を払った。
さて年予算の4倍とも言われる戦利を獲得した我が国は後年敗戦国となる。
ところが第1次大戦の反省から世界には過大な賠償を慎む雰囲気ができていた。
とさ。
我が国外交に感じるある種の肩身の狭さはここのところにあるのかもしれない。

2008年10月12日日曜日

majikanaハイキング 10/12みのお


見事に秋の一日
久しぶりに箕面の山を歩いた
政の茶屋では
高尾山からゴールした神奈川の二人連れに会った
ほんとにうれしそうだった
こちらもうれしかった

天上ケ岳はゆっくり休憩を取るビューポイントであったが
山頂に近づくにつれ異様な臭気 猿のトイレと化していて早々に退散

EXPOの森は今まで通り気持ちのよい空間だったが
ここでもシカのふんが前よりも目につく

落石で自動車通行止めの才が原林道は猿の大群だった

2008年10月8日水曜日

死して朽ちず


東アジアの過去現在未来と題する講座の案内をもらった。
場所は関西大学。近い 無料!。 おお!というわけで第1回。
知るのが遅くて講義としては第3回目。
中国における儒教復権の話を聞いた。
講師は関西大学学長河田悌一先生。
老いて学べば即ち死して朽ちずと教わった。

2008年10月4日土曜日

兎和野高原 アクティブGo10/1〜2 


センターの施設を知ったのは1月のスキー教室。
クラスのみんなにええよええよと言って同窓会企画になったものの、
さて、失望させることになりはしないかと気がかりだった。
案ずるよりなんとやら、食事も好評でほっとした。
我がクラスの強運は相当なもので、台風15号も大きく南にそれて、秋の空。
もっとも日の出は3回目にしてついに雲に遮られた。


2008年9月25日木曜日

一歩会ハイキング 9/25芦生


芦生原生林トロッコ道をなつかしく歩く
35年も前になるだろうか
先輩に星狂いがいて、すすめられるままに双眼鏡を買った
では行こうと連れられたのが芦生だった
その彼も鬼籍に入ってはや10年
あの日一番の感動だったアンドロメダ座の大星雲
どこかで友を忍ぶよすがとするか
あえるかな


2008年9月16日火曜日

majikanaハイキング9月 奥の院36町石 9/15


奥の院への参詣道は戦国の世に一気に引き戻す
光秀がいる三成がいる信玄勝頼内匠頭
無念が山中にこだまする

敦盛と直実の塚が並んでいるのを探しにいったがわからなかった

一の橋を戻りお菓子屋さんの茶店でほっとひといき
うきよにかえる

majikanaハイキング9月 高野山町石道 9/14


高野山町石道
九度山慈尊院から根本大塔に至る180町12〜3世紀の町石が今に残る

慈尊院からは柿の木畑の急な登り
落ちた熟柿に舌鼓をうちながらあえぎあえぎのぼる
ふりかえればここが一番の難関だった

古峠をこして地蔵堂で昼食 
駅で教えられたとおりブルーベリーをむさぼる
笠木峠をなんなくこして矢立

さあ最後の登りと勢いこんでいたがさほどには感じなかった
とはいえ180町
8時半に九度山駅に降り立って宿坊についたときには5時をまわっていた

大門をすぎるとにぎやかな門前町
一番の町石は手が振れないようにしてあった

般若湯を買った 
お酒だった 
はあ、なるほど、さすが、 
戒律厳しい高野山 

2008年9月11日木曜日

うなどん


さて 昨日はいったうなぎ屋は志津可という店だった
うなどん
上¥1700
中¥1400
並¥1200
上と中をとってみた
その差はあっと驚くものだった

これは次ぎ来た時に上にさせようとする陰謀やで
と話し合ったことだった

並の顔を見てみたいね
また行く?
さあ?

2008年9月10日水曜日

大阪クラシック 9/10


御堂筋コンサートをはしごした
大川を走って弁護士会館弦楽四重奏
立ち聞き(11:00〜11:30)
アンコール「ユーモレスク」にほっとする
うな重を食べて
竹中工務店でギターソロ
いねむり(13:30〜14:00)
アンコールは禁じられた遊び
これはよかった
南のカフェでヴァイオリン
テーブルに腰掛けて聞く(14:00〜14:30)
シニア講座の同級生にあった
つぎは梅新ニッセイフェニックスタワー
ルロイアンダーソン
直行したので2時間も前についたが既に列ができていたのでならぶ
特等席に座って聞き慣れた曲を楽しんだ(18:00〜18:30)
語りがちょっと長かった
階下のビヤホールでいっぱいやって帰る
御堂筋は自転車も含めて一方通行であることを学習した


2008年9月8日月曜日

サイクリング 9/7


久しぶりに勝尾寺園地へ愛車を駆った いやヨタッた
愛車とは何ともきざな言い方だけど言うにためらいはない
私にとって初めての新車
フレームの発注から部品の組み上げ
大丈夫かしらとおそるおそる乗っていた1週間が懐かしい
はや3年故障もなく元気 年とともに愛着が深まるね
ザックや靴とおんなじ 相棒だ



2008年9月5日金曜日

防災訓練 9/4


9時に地震が発生するので小学校に集合せよ
というわけで出かけていった

本部との無線も不調でつながらなかったが
なにごともなくさいわいだった

水の缶詰とタオルをもらった

2008年8月14日木曜日

東海自然歩道Xlll 笠置8/10


月ケ瀬口から笠置へ
東海自然歩道京都府のファイナルステージ

ほとんど陰のない炎天下の舗装路を川の流れをせめてもの慰みに歩く
高山ダム 休憩の場所なし
流れ橋に期待していたが何もなかった
背が低くて増水知ると沈んでしまう欄干のない橋だった
勝手な勘違い

一度山道にはいって線路沿いに笠置橋へ
列車の通過を心待ちに歩く
線路をそれて川沿いになったところで列車の音
5分ほどのずれだった
線路に耳を当てることなんどすっかり忘れていたね


2008年8月4日月曜日

鉢伏山第16頂 伊那8/1 標高1454m


昨日萱野高原から林道を行ったものの登り口がわからなかった
ルート変更も考えたが再度挑戦
慎重にナビゲートして特定、正解だった
帰って写真を見ると尾根への入り口にテーピングしてあった
ルートはきちっと歩道があって途中標識もありよく風の通る林間の尾根道
往復7㎞の気持ちよいハイキング
萱野高原から登り口までの林道が未舗装
車好きにはたまらないないのではないだろうか
道中両側ともに松茸山 はいるにはちょっと季節を選ぶ

鉢伏山第15頂 松本7/31 標高1928m


鉢伏山20頂中の最高峰である。
扉温泉から歩いて登るつもりでいたが、ドライブに変更。
諏訪から高ボッチ山経由の快適な無料のドライブウェイ。
道を横断するシカを二度見かけた。
山小屋の駐車場に止めて鉢伏から前鉢伏へ散歩。
雲はあったが十分眺望を楽しむことができた。 

2008年8月3日日曜日

萱野高原



伊那は七谷炭焼く煙
萱野高原眺望絶佳

暴れ天竜をはさんで
木曽駒ヶ岳と経ケ岳
あいだに遥か木曽の御岳

展望台からは白馬を望む
すばらしいロケーションに国民宿舎がある

10年眠っていたものを揺り起こして2年
建物は古くて設備に均衡を欠くが
理事長がいい
調理のおばさんもサービスに富んでいる

理事長がキノコの専門家
秋に来いって

2008年7月29日火曜日

鉢伏山第14頂7/21 砺波標高510m



砺波鉢伏山は夢の平スキー場のてっぺんにある
山頂まですべて二重線とあって自転車で行く
石動の友人宅に泊めてもらって朝出発昼帰着
とんでもなく暑い一日だった

山頂からの眺めは抜群
遥かに立山連峰
市街地の向こうに富山湾

往復は久しぶりの青春18
連休でちょっと危ぶんだが
自転車もうまく置けて
座席も取れて快適だった

東海自然歩道Ⅻ 童仙房7/13


距離約23㎞と我々には長めだがバスで高度を稼いで
登距離が少なく大半がなだらかな高原
歩きやすいルートだった
9時に歩き始めて3時半には月ケ瀬口
うかうか歩いて駅へ行くのに失敗
ガード下にでてしまって表示の矢印に戸惑って
電車一台乗りそこなってしまった

2008年6月9日月曜日

東海自然歩道Ⅺ 鷲峰山6/8




うまい具合に梅雨の晴れ間
宇治大橋8時半に5人集合
川沿いに進んでいよいよ右折というところで道路工事に出くわした
迂回路をとるとうまく東海自然歩道の看板
気持ちのよい山道を行くがやがて白川神社への道とわかる
出戻りだ
今日の距離を思うと寄り道はさけたい
本来の道に戻る
やがて白川 神社の鳥居があって階段がついている
しまった あのままでよかったんだ
案内板の不親切を恨む たよりの2万5千にも記載がないし

パスして先を急ぐ
山路をこえると茶畑だ
神社脇の休憩所で昼食 単独行がやってきた
手を振ったけどさっさといってしまった

延々と舗装路を行く
養鶏所 とにかくでかい 卵の自販機に驚く
今日初めての下りで宇治田原町
ここも茶所
茶店で新茶をごちそうになる
宇治茶ソフト うまい

さあ山道というところで通行止め迂回路の看板
自動車道路を三角形の二辺で行かされそうだ
看板を見なかったことにする

これが正解だった
舗装はしてあるものの気持ちのよい山道
危険を感じるところは一つもなし
仕事をしていない工事中のところが一カ所
これが迂回の本ならちょっと横着

ゆっくりした上り道のまま金胎寺着
エイやっと山頂に登ると立派な碑がたっていた
重文だった 琵琶湖が見える
ちゃんとした道があって下る
笹の新芽をかじる
初めて教わったがタケノコの味がした

急坂を下る
見事な茶畑をぬけて原山バス停
山頂を3時前に出て4時前着
予定を軽くクリア

険しい登りが一カ所もなかったので
疲れが少なかったか




2008年5月24日土曜日

majikanaハイキング5月 天王山


雨上がりの新緑がことのほか美しかった
天王山から釈迦岳を経てポンポン山に至る

8時半に山崎駅を出て釈迦だけで昼だった

あとは一路温泉目指して
樫田温泉JAF割引があって入浴料¥500.-