2019年4月6日土曜日

京都御所 4/4

同志社母校の案内で御所を見学した.
南北2km東西1kmはあろうかという広大な敷地である.
北辺に同志社が対峙する.
KGと同じミッション系だがそこは御所前、随分と構えが違う.
瓦葺きの土塀に竹矢来ときたもんだ.

大学正門の前、「今出川門」から御苑に入る.

惜しいかなちょっと時期を外したが、見事な桜の園があった.

塀沿いに南に向かう.内側が内裏である. 

西面「清所門」. 読みはせいしょもんで良かった.
簡単な持ち物検査が待っていた. 

「紫宸殿」.
南向き、建礼門に向かって建つ. 
桜はかの有名な左近の桜か.されば囲いの中には右近の橘.
源平のなにがしが追っかけあいをしたと習って、なにやってんねやと思ったものだが
なるほど周りを回ると一周200mのトラックだ.
重たい鎧を着て走り回ったんやと納得.
帰ってWikipedia. 
平重盛、悪源太義平は騎馬だった. 

「建礼門」.
ここはやはり建礼門院徳子の人生に心が走る.
東海自然歩道のとじ、大原のお墓に参った.
ちょうど頃合いとお墓で弁当を食べていたら、ぐらぐらっときた..
「うわっ地震だ」「バチ当たったんちゃう」など言い合ったものだ.
お墓は無事だった.

「清涼殿」. 
略図を見ると、この奥に殿上の間.
忠盛が闇討ちに合わんとしたのはここだったか.

すると郎党はこの「滝口」に. 滝口の武士どもはどうしてたんや.
中世の現地を目の当たりにできる凄さ.

平家物語をあらためると、宴は紫宸殿で行われていた.
されば家来は橘の脇あたりに侍ったか.
忠盛の得意や思うべし.

その橘は簀の中.
弱ったから囲ってあるのかなと思ったら、大佛次郎「天皇の世紀」に霜除けの覆いと書かれていた. そうなんや.

御苑内の休憩所でしばし歓談.
「歌垣」持参してよかった.

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