2019年4月14日日曜日

高遠城址公園 4/8

飯田線伊那市駅からJRバスで高遠駅.
なるほどこれは駅ですね..

駅前に見事な桜.
ひょっとしたらいけるで.

100円シャトルバス.
高遠城は谷の向こうの山の上.

高度をとるほどに花は消えてゆき「やっぱりな」の入り口.
開花寸前の蕾で全山ピンク.

有形文化財「高遠閣」のお出迎え.
かつての城とは何の関係もないが堂々たる建物だ. 

門の先が本丸跡.
らしき風情だが、これも城下の問屋門を移築したもの.


問屋門というから薬問屋の門ぐらいかなと思っていたら違った.
高遠閣といいこの門といい、復元ではなく城跡の繕いという発想が面白い.

本丸跡.
藤沢川と三峰川との合流点に位置する高遠城.
三河から諏訪への進行を止める要害である.
織田徳川連合軍に敗れた勝頼が落魄の身をよせた城である.
7年後、天正10年3月弟定信が信長軍に敗れた城である.
その信長もおなじ年の6月には本能寺の憂き目に. 
祇園精舎の鐘の聲. 聞いたことないけど心に沁みる.

絵島囲み屋敷.
戦国から時代は下って徳川の平和.
陰謀とも言われるこの事件、緩んだ空気がピリッとしたか.

「絵島の間」八畳.はめ殺しの格子.
牢屋である.

番人詰め所から台所を望む. 左に絵島の間右に玄関. 
番人に見張られて33歳からの27年.
見せしめにしてはむごい. 5年もすればその存在すら忘れられたか.

勝頼の母、諏訪御前のお墓を訪ねた。
建福寺.

親の墓、参りもせずに、美女の墓.
逢うたことなく、顔も知らぬに.

絵島さんも美人だったろうが、お墓は遠いのでパスしてバス駅.

伊那市に戻って、お屋敷に遭遇. ごっつい.

玄関は誘うように開いているが、客商売の様子もない.
表札に「熊谷」.
熊谷直実の末裔?御所探訪以来どうも何かと平家物語に頭が飛ぶ.

これだけの屋敷を保つにはよっぽど◯◯◯やないと.
まあどうでもええやん.
宿に帰る.

レディースショップも宝飾店も閉店.
ホテルかろうじて営業中.

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